楽しいおやつ、昭和ノスタルジー雑感。

最近、おやつに昭和っぽい味わいのチープなお菓子を買うのが静かなブームだ。イノとふたりで「コレ懐かしい」と話しながら午後のコーヒーを楽しんでいる。

今朝、買いものついでに何気なく仕入れてきたおやつも期せずしてふたりのツボにヒットした。リスカの「しっとりチョコ」なるお菓子である。今はなき、森永「チョコフレーク」を彷彿させる味で、食感がもう少し軽い感じだ。うっかりするとパクパクとつい食べてしまう。

途中でハート型のものを見つけて年甲斐もなくはしゃいでいたのだが、残りを食べ進むにつれて結構な数のハート型が混ざっていることに気づき、「このちょっと雑な感じもなんか昭和っぽい」などと笑っていた。

「昭和っぽい」の謎

ところで、1975(昭和50)年・早生まれの僕は、いわゆる昭和という時代のラストを中学生として過ごした。イノは1983(昭和58)年生まれなので、小学校に上がったときはすでに平成だ。

ここで不思議なのは、ふたりの感じる「昭和っぽさ」にほとんど食い違いがないということである。



8年半の年齢差があると、普段は意識していなくても日常会話の中でたまにジェネレーション・ギャップを感じるものだ。10代を過ごした地域が違うということもあるけれど、流行りの曲や懐かしいTVCMなどには明らかなギャップが確認できる。

しかし、ふたりが実体験として感じている「昭和っぽさ」=「懐かしさ」は、ほぼ同じニュアンスで共有できている。様々な(例えば広告代理店による)情報でオトナになってから上書きされたり更新された情報もあるとは思う。それでも、それぞれの実体験ベースの感覚に差異がないのはどうしてだろう。中学生と幼稚園児では、体感した情報も記憶している情報も、質・量ともに大きく違うはずだ。

要はそれぞれにとって個人的な「古き良き」とか「ノスタルジー」といった感覚を「昭和っぽい」という言葉に託しているということか。別に文化人類学的な考察をしたいわけでもないので深みにハマらないうちに引き上げたいところだけれど……言うまでもなく、昭和という時代は長い。

序盤には第二次世界大戦があった。僕の父母が生まれたのはもちろん戦後だ。昭和30年代はいわゆる「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズで知られるような世界だったのだろう。その後、東京オリンピックやオイルショック等を経て、ようやく僕が実際にこの目で見てきた(記憶にある)時代に突入する。



幼稚園時代の骨折とか初恋の先生といった個人的なものはさておき、社会的に共有できる最初の思い出(記憶)というと1981年の「ポートピア’81」を家族で訪れたあたりだろうか。改めてこう考えてみると、「なんとなくノスタルジック」な共感覚を「昭和っぽい」と括るのは乱暴な気もしてくる。少なくともそこに戦争の記憶は含まれていないだろう。僕の「昭和っぽい」にはもちろん含まれていない。

ウリボウは平成最後の年に生まれ、その後すぐに令和という新しい時代がスタートした。数十年後、ウリボウはどんな時代にノスタルジーを感じるのだろうか。そこに美しい時代があるかどうかは、僕ら世代の双肩にかかっているのだ。